安部街道の歴史と成り立ち(現地の方に伝わっているお話)
安倍街道とは安倍川沿いの道であり、その成り立ちと歴史は安倍川とともにある。
安倍川の源流は、梅ヶ島からの川筋と大谷崩れで有名な大谷川からの川筋とからなり、1500年代頃の地震によって大谷崩れが起き、その土砂の流失によって川幅が広がり川自体が大きくなって河口までの距離約五十キロを水が一気に流れてくる河川であり、その様々な支流を合わせて大河となったとのこと。藁科川も安倍川の支流のひとつ。
この安倍川沿いの道であるから安倍街道と名付けられた道も、昔は安倍街道と呼ばれていなかったとのこと。
徳川家康が駿府に隠居したときに、駿府の町を守るために薩摩の島津家に薩摩土手を作らせてから安倍川という名前と安倍街道という名前が定着したらしいとのこと。
しかし、その時代は既に安倍郡賤機村とか安倍郡井宮村、安倍郡梅ヶ島村とかの地名はあったようで、安倍川沿いの集落は、その当時から存在した集落であり、土地の人に聞いたところ、先祖は平家の落人とかではなく昔から住んでいた(わかりやすく表現すると土着民とか)のではないかとのことである。
では、安倍川から離れた集落は、安倍街道沿いの集落から奧に入った集落(藤代、中の段、大代、東峰、有東木、俵峰等)は、どんな人たちによって出来た集落であるかというと、江戸時代に入った1600年代に起きた洪水によって集落が流され洪水の心配のない高台の山腹の土地に移り住んだためとのことであった。 |