システム課・前川です。 今回は静岡市の中心部ともいえる鷹匠一丁目、新静岡セノバ(旧新静岡センター)裏にある稲荷神社の話です。 この神社、稲荷神社なのに江戸時代か...
システム課・前川です。
今回は静岡市の中心部ともいえる鷹匠一丁目、新静岡セノバ(旧新静岡センター)裏にある稲荷神社の話です。
この神社、稲荷神社なのに江戸時代からの由緒ある神社だったりします。
かの歴史上の人物・徳川家康の死後、江戸時代の比較的早い時期から、駿府城は城主を置かず城代に城と城下の管理を担わせていたそうです。
この城代の命を受けて城の守衛を担った役職を加番と呼び、駿府城は3つの町内に1年ごとの期間で加番を命じていました。
その加番のうち、初めに任命された加番が紺屋町であり、その守護神として今回の鷹匠町にある稲荷神社が建立されたと言われています。
また、このような由来から、この神社は一加番稲荷神社と称されています。
なお、現在の位置には由比正雪の乱に伴って移されたもので、市民一般が参拝できるようになったのは明治以降とのこと。
その後も戦災で焼失した後も、地域の人々に支えられ、現在に至ります。
鷹匠にご用の際は一度訪れてみてはいかがでしょうか。稲荷神社にしては立派な石造りの鳥居が目印です。
今回は静岡市の中心部ともいえる鷹匠一丁目、新静岡セノバ(旧新静岡センター)裏にある稲荷神社の話です。
この神社、稲荷神社なのに江戸時代からの由緒ある神社だったりします。
かの歴史上の人物・徳川家康の死後、江戸時代の比較的早い時期から、駿府城は城主を置かず城代に城と城下の管理を担わせていたそうです。
この城代の命を受けて城の守衛を担った役職を加番と呼び、駿府城は3つの町内に1年ごとの期間で加番を命じていました。
その加番のうち、初めに任命された加番が紺屋町であり、その守護神として今回の鷹匠町にある稲荷神社が建立されたと言われています。
また、このような由来から、この神社は一加番稲荷神社と称されています。
なお、現在の位置には由比正雪の乱に伴って移されたもので、市民一般が参拝できるようになったのは明治以降とのこと。
その後も戦災で焼失した後も、地域の人々に支えられ、現在に至ります。
鷹匠にご用の際は一度訪れてみてはいかがでしょうか。稲荷神社にしては立派な石造りの鳥居が目印です。
